【不安解消】セドナメソッドで羞恥心と罪悪感を手放す

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      2016/11/16

この記事を読むのにかかる時間: 516

こんにちは!はなみです。

このサイトでおススメの不安解消法の1つ、セドナメソッドに関してのお話です。

早く書きた過ぎて、でもまとまらなくて最終的にTwitterやら前日の記事やらで予告ばかりになってましたねw

ようやく話をまとめられたので、書いていきます!


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羞恥心と罪悪感の手放しがわからない

セドナメソッドの公式本によれば羞恥心と罪悪感はほとんどの場合一緒になって働くとのこと。

それはわかるんですが、次の言葉に対してなかなか理解が追いつかなかったんです。

罪悪感や羞恥心にはうそが隠されています。
最大のうそは、罪悪感は罰せられることから私たちを守る、というものです。
外界からの罰は不可避だと信じているために、意識の中で自分自身を罰します。

内的な神や自分から先に罰されれば誰かに承認されたり安心を得られたり…って感じかなと理解したんですが…うーん、しっくりこない。

そして羞恥心については本編ではけっこうざっくりしてるんですよね。

 

一応手放すがなんか残る…

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私は人生に対して『恥ずかしい』と思うことが多くて、セドナメソッドで手放そうと何回か挑戦したことがあります。
でも4つの欲求を探ってみても毎回『どの欲求かわかりません!』だし、恥ずかしい感覚を避けようとすることの方が多かったような気もします。

普段だったら冷静に書く解放や欲求探索メソッドを使うんですけど、どうも『恥ずかしさの感覚』についてはそれをしてはいけない気がする…っていうのが正直な感想でした。

こうなったらとりあえず安全欲求を捨てておけばいいよね!って思って捨てるんですが、絶対残ってるなって感じてました。

自分には感覚がなくても解放は進んでるはずということにはなってても、もやもやが収まりませんでした…。

 

とりあえず抵抗の手放し

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セドナメソッドを始めた時から何度もぶち当たってきた羞恥心の手放しの問題ですが、そのうち自分の中で手放せてないと感じる以上ここに手をつけるのは違うかもと思うようになりました。

まぁ…手を付けるのが嫌な課題だったっていうのもありますけど…。

なのでとりあえず羞恥心を手放すのが嫌な自分を手放すことにしました。

ところが、この羞恥心を手放すのが嫌な自分、タマネギの層なの!?ってくらいいっぱいいたようで。

羞恥心を手放すのが嫌な自分、が不安な自分、に対して怒りを覚える自分、がまた恥ずかしい自分、に対して申し訳ない自分、に対して憤る自分、に対して不安な自分…続く…みたいな感じです。

この薄皮みたいな自分に対する不信感を手放す作業を毎夜毎夜行っていくうちに忘れていたことを思い出しました。

 

感覚が戻ってくる経験

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昨日の通院日記で、しきりに同じ場面が思い出されて…という話をしました。

それが恥ずかしさの感覚とつながっている経験だったことをある日思い出しました。

今までは情報として、何年くらい前にこういうことをされたっていうのはあったんですが感覚までは忘れてました。

その感覚、どこがどんなふうに痛いとか自分の姿勢とかギュッと締められるような不快感が戻ってきたんですよね。

詳細を書くと同じような体験をした方のトラウマ刺激になってしまうので避けますが、いわゆる非人間的な扱いです。

継続的に人間として扱われなかった結果、怖すぎて加害者にへつらうようになってしまったんですよね。

毎回やりくちは同じなんですが、何回もやられているうちに自分の方が薄笑いとかを浮かべるようになったりして、自分が惨めかつ恥ずかしかったんです。

 

恥ずかしさ=安全欲求

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ひとしきりその感覚に浸って(っていうか感覚に浸ろうとかではなく出てこれなかっただけです)、ようやくその感覚から離れられた時にセドナメソッドをやるなら今だ!と思いまして。

その結果、私の場合恥ずかしさはダイレクトで安全欲求につながっていたことがわかりました。

あの時、これ以上人間としての尊厳を潰されたら死ぬなーと思っていました。

どうにか生きるためには、加害者と同じように自分を『恥ずかしい存在』として扱うしかなかったんだと思います。

自分らしさとか自分を消して、一緒に自分を責めたり恥ずかしいやつと思っていればぎりぎりで残っている自尊心を守れる=生きられるっていう論理になっていたようです。

 

生きる機能に感謝しつつ解放

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セドナメソッドの本には書いてなかったですが、私にとっては『罪悪感』と『恥ずかしさ』は生きる機能の1つでした。

今はもうひどい目には遭っていないのですが、ことあるごとに恥ずかしさや罪悪感を持ちだす傾向があって、過剰防衛ですね(笑)

でもそれもこれも、全部『生き続けるための機能』と思うと感謝も生まれてきました。

と、ここまでわかったところで解放!流す!ポンポン流す!という段階に突入。

いつもの質問形式で解放しましたが、今回は恥ずかしい/罪悪感にありがとうさよならーって感じの感謝もつけました。

 

今回のまとめ

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今回のことを通して、いくつかセドナメソッドを実践中の方の役に立てるかもしれないと感じた点をまとめてみます。

・苦い経験は何層にもなって隠されていることが意外とある

・抵抗に対する解放を行えば、やがて本質にたどり着く

・恥ずかしさと罪悪感が生きる機能とセットになっていることもある

・生きる機能だったものを手放すにはけっこう勇気が要る

 

hanami1というわけで、また一段階良い感じになってきたはなみです。

もちろん、苦い経験を全部手放さなきゃ幸せになれないっていうことではないですよ!

持っているにしても解放するにしても自分がより素晴らしい方向に行ければいいですね。

読んでいただきありがとうございました^-^

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